一体化されぬもの

顧問のタナカカツキです。

 

 

 

 

顧問がみなさんと同じ学生の頃、部屋にはモノが溢れかえっておりました。

 

 

小型カメラ、一眼レフ、8ミリカメラ、映写機、編集機、フィルム、オーディオ、レコード、CD、ポスター、ギターやキーボード、楽器類、エフェクター、アンプ、シールド、テレビ、ビデオ、ビデオテープ、カセットテープ、収めるラック、単行本や文庫本、画集、週刊誌、資料、本棚、イーゼル、キャンバス、絵の具など画材道具、……

あげればきりがありません。

 

 

 

 

それらが今、ほとんどすべてこのスマホに収められました。

 

 

顧問は収集癖などもなく、できるだけ部屋はスッキリ何もない状態にさせたかった。
でも創作道具は捨てられない、モノは増えるばかり……。

 

だから、スマホにすべて収まった世界は、心から願ってた世界なのです。

 

 

 

 

創作道具に限らず、生活で必要な道具がどんどんスマホと一体化してゆく。
一体化はさらにすすんで、やがて私たちの身体とも一体化するのでしょう。

利便性、効率化はどんどん進み、モノは存在を失い機能だけが残る

 

 

 

 

モノの存在がなくなった空間。

 

 

 

 

なにか物足りなさ寂しさを感じるかもしれません。
モノがそこに存在することの心地よさ、安堵感、潤いのようなもの。

 

 

 

 

この先、私たちの生活空間にはどんなモノがあるのか。

 

 

 

きっと私たちと、一体化ができないモノたちでしょう。

 

 

犬や猫、動物たち、植物、水や風、香り、シャワールームや、ふかふかのベッド
私たちの生活に深みと安心を与えるモノたち。

 

 

 

 

 

その中のひとつに、小さな大自然「水草水槽」があるんやないか〜
どうなんや〜〜

 

良いモノが少しあればよい。

 

 

 

 

生活空間に深みと潤いを求めてゆく時代に突入してゆきます。