ハサミを入れてこそ

顧問のタナカカツキです

 

 

 

どれだけ美しいオーロラも
毎日見てればやっぱり飽きるのでしょうか?

 

たとえば写真がすきで
オーロラの写真を撮りたいという気持ちでオーロラと向き合えば
毎日でもオーロラを楽しめるような気がします。

 

写真を撮る目的を持てば
自分ならどんなふうにオーロラを写し取るだろうかと考えるだろうし
オーロラに対しての見方も変化する。

 

長い時間オーロラと向き合うことになります。

 

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学生の頃、ベースギターを練習し始めたら
流れてくる音楽のベース音がやたら大きく聞こえるようになったことがありました。

 

普段、低音なんてそんな意識して聞いてなかったのに
ベース弾くようになって、低音がはっきりと耳に入ってくるようになったのです。
低音をしっかり受け取れ、感じる自分が作られていったのだと思います。

 

広い音の幅で、音楽をより楽しめるようになりました。
知らずに、音の感性が広がっちゃったんですね。

 

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水草そのものは、単体で十分見るものを楽しませるけど
やっぱり見てるだけだと飽きてしまいます。
美しくてあたりまえ~~!みたいなことになってきてしまう。

人は贅沢ですね。

 

 

飽きる…というか
気持ちが広がっていかないのかな?
ベースギターのときのような
知らずと感性がひろがってゆくような体験を期待してしまいます。

 

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レイアウトしてると
水草への眼差しは、レイアウトに使えるか使えないかのジャッジをして
水草本来の姿を見る目を失ってしまいがちです。

 

 

 

使えるか使えないかは別にして
水草そのものの姿はそれぞれユニークなのです。

 

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それで私も以前、水草をレイアウトするのではなく
1種だけを上手に育てようなんて、やってみたことがありましたが
短い期間で麻痺しちゃいました。

美しくユニークな存在であるはずの水草
いつもの水草になってしまいました。

 

日常的なものになってしまうと
最初に心を動かされた美しさはどこへいってしまうのでしょうか?

 

無感動になる。
人は自分勝手です
勝手に好きになって飽きちゃって…

 

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気持ちが広がっていかない、そこでとどまってしまう。

水草は成長し姿を変えてそのたびの楽しさはあるものの(本来それで十分)
私からすれば、それだけって感じになってしまいます。

 

 

見てるだけじゃ満足しないんですね。

 

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水草の、植物の美しさを余すところなく味わい尽くしたい!


それは見てるだけより、とことんハサミを入れて
切って曲げて転がしてレイアウトして積極的に付き合ってみる。
こちらの水草を感じるセンサーも育ててゆく。
水草を美しいと感じているのはこちら側だもんね
水草を切り刻んで水草まみれになる。
そうしてると、すごく細かなことに気づけるようになってくる。

 

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生け花なんてのも
わざわざ綺麗に咲いている野花の命を?ぎ取って切り刻み
さらなる命を吹き込んでやろうというわけです。

それは人間本位の考え方すぎる!と攻撃をうけたのは
生け花のなつかしい歴史です。

でも結局、長きにわたって今なお生け花が死んでいないとすれば
それは人間が花にとことんハサミを入れてきたからだと
言えなくないでしょうか?

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そんな理屈っぽいことは
ほんとはどうでもいいんだ~

 

 

結局言いたいのは
「サ道」の文庫版がでたから買ってね!ってこと
毎日買っても飽きないからね~!

 

 

さあ!水の奴隷になるよ~~!

 

 

 

 

 

 

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